平成23年5月16日 早稲田大学「SFM研究会」講演

遂に『こころの時代』の到来か

 =東日本大震災が変えたものは=

これは平成23年5月16日、SFM研究会に於いて題目『こころの時代の到来か』をスピーチさせて頂いた内容の骨子を纏めたものです。私がSFM研究会でスピーチをさせて頂くのは、今回で6回目となります。私は7年前からスピーチの機会が有りますと、「21世紀はこころの時代」を副題としてお話させて頂いて来ており、今回も「こころ」に関してお話しようかと準備に入っておりました。ところが3月11日午後2時46分、東日本を巨大地震が襲い、そして巨大津波、更には福島原発事故と三重苦の災害が襲いました。

何とも皮肉な話で、この未曾有の災害が私たちに「こころ」を見直す機会を与えてくれたのです。そこで「東日本大震災」の後の私たちの「こころの行動」を捉えながら今日のお話をして行きたく思います。


<リンク目次>

1.2011年3月11日午後2時46分 あなたは?

2.「21世紀はこころの時代」の“こころ”とは? (「脳」と「こころ」の関係)

3.「物理空間」と「情報空間」とは? (A.トフラーの『第三の波』)

4. 欧米文明の模倣は止めて、本来の『森の民』に戻れるか?

5. “こころ”の栄養は『癒し』

6. 「中央集権型組織」から「権限分散型組織」へ(「親分子分型」から「寄り合い型社会」)

7. 課題先進国の日本の進むべき道は? (シルバーエイジ活躍の時代へ)

1.2011年3月11日 午後2時46分 あなたは?

そう、あの瞬間、あなたはどこで、何をしておられましたか。1000年(ミレニアム)に一度の未曾有の出来事と言われています。こんな表現を使いますと、それでは同じ規模の災害はこの先1000年は襲ってこないとも考えられますが、実はそうは言えないのです。これは今回の災害は1000年ぶりに襲ってきた最大級(つまり平安時代、869年の貞観地震と呼ばれる大地震・大津波以来)と言う解釈の方が正しいかと思います。何故なら「地震学」は未熟であり、地震予知などまだ出来ずにおり、せいぜい過去のデータから予測をしている程度で信憑性は有りません。従って「同規模の地震が明日襲ってきてもおかしくない」という前提に立って日々安全対策を積み重ねてゆくことが大事かと思います。

もうあの瞬間から2ヶ月以上も経った現在、私たち一人ひとりの“こころ”も実は少しづつ変って来ています。あの時は皆が「大変なことが起きた。どうしよう! どうしてあげよう!とにかく“がんばろう 日本!”」と“こころ”で叫ぶしか無かったのです。そして世界各国から「ガンバレ ニッポン!」のメッセージが届いたのです。このとき私は、世界中の人々と“こころ”が一つになった一瞬だと感じました。

そこでまずは皆さんに各自各様に“こころ”に触れてもらうために、大震災の数日後にインターネットのYouTube上で流れ、一瞬にして70万人の人が見たという作品をごらん頂きましょう。

この作品に対してYouTube上には、次のようなコメントが次々と書き込まれて行きました。

■ 今度の「東北・関東大震災」で、東北の人々に襲い掛かって来る苦難にじっと耐え、こんな逆境の中にあって暖かい思いやりの心を忘れず助け合い、秩序を正しく逞しく生きているのを見て感動しました。今までは独特の東北弁を茶化していましたが、こんな素晴らしい東北の人々を、同じ日本人として誇りに思います。

■ 東京にとんどん降らせていいから、被災地にはもう雪は降らせないで、暖かい気温にしてあげてください。もうこれ以上彼らを苦しめないでください。神様にお願いしたい気持ちです。

■ 身の危険も顧みず原発消火に当たっている人々、全国から暖かい心で救援の手を差し伸べている多くの人々、本当にありがとう!

2.「21世紀はこころの時代」の"こころ"とは?
   (「脳」と「こころ」の関係)

どうでしたか? この作品をごらん頂いて、少しでもあなたの“こころ”に触れることができましたでしょうか? そうですね。皆さんのお顔を拝見すると、何か胸に迫って来ているような方もおられるようです。

さてそれでは“こころ”とは一体何なのでしょうか?

  実は「こころ」の研究はまだ浅いのです。未だ心身医学においても“心の定義”が確立されていないと言います。

そんな訳ですから、これから「こころとは?」に関してお話を進めて参りますが、これは私の考えであって正しいかどうかは分かりません。誰も分からない訳ですが。

「脳」と「心」の関係

「脳」に関しては昔から大変に関心が高く研究されて来ており、医学的にも脳の詳細が解明されています。「脳」と「心」との大きな違いは、“脳は見える”が“心は見えない”ところにあるようです。「心」は形も無く、生まれたり消えたりしており、また私の自説ですが、時に体から外に浮遊すると考えており、つまり掴みどころが無いものと言うことで、研究対象として大変に難しかったのでしょう。

「近代科学」は「唯物主義」に立脚しており、“目に見えないものは信じない”という原則に従っています。従い「心」は「脳という物質の産物」であると定義して来たそうです。(唯物的一元論)

一方「心」と「脳」は同質のものではないという理論も有ったのですが、この理論(心身二元論)に立つと不都合があるので伏せて来ていたのかも知れません。もし、“「心」は「脳」から離れて存在する”ということにすると、従来から言われている「霊魂の世界」、そして死後も自我の存在を認める「宗教」の考えに触れてしまうので避けてきたのではないでしょうか。

「心」は「脳」の産物という理論が主流であった証拠を夏目漱石の生活からのぞき見る事が出来ます。漱石は晩年(19世紀後半)強度の精神病に罹り子供や使用人、そして妻を突然大声でどなったり、叱ったりしていたそうです。そんな状況を妻の鏡子は『漱石の思い出』という本の中で「胃潰瘍から脳が悪くなった時には、大声でどなったり、叱ったりする発作をおこしていた」と書いています。

しかし20世紀に入ると医学の中でも「心身二元論」が見直されて「心理学的精神医学」が生まれ、「唯物一元論」に立った「脳精神医学」と並行して研究され始めたそうです。

「心」は何処にある?

「心」は掴みどころが無いと上述しましたが、目に見えない「心」は何処にあるのでしょうか。あるときには「胸」に、そしてあるときには「腹」に、そしてまたあるときには「体の外」にあるのではないでしょうか。

悲しいとき胸が締め付けられ、そして感動したとき胸が高鳴っています。そして祈るときには手を胸に当てがいます。しかし心を落ち着かせるときは腹式呼吸をし、黙想するときは、両手を腹部で合わせ組むのです。そして腹黒いヤツには腹が立って、「胸に手を当ててよく考えろ!」と叫びます。「体の外」とはあの「放心状態」の時です。

あいつの行動が頭に来て「ふざけるな!」と叫んだとき、叫んでいる行動は「心」そしてアドレナリンを多く排出しているのが「脳」の行動だそうです。
つまり「心」とは 「意識」であり、「感情」「気持ち」であり、「行動」です。

『言葉は信じられないケースが多いが、行動をジ〜ット見ていれば、その人の“こころ”が分かる』

そして「心」はどうやって造られるかに就いては、「遺伝」説も有りますが、私は「環境(学習)」によって造られる、という考えに賛成です。


「心」は見えないが〜〜

3・11の大災害の後、TV上で流れた甚だ迷惑な宣伝、皆さんもご記憶が有るでしょう。民間スポンサーが宣伝から下りた瞬間、待ってましたとばかりに殆どのチャンネルで同じ広告を垂れ流した公益社団法人「ACジャパン」製作の宣伝フィルム。その中に印象的な言葉が出てきていました。 

『心は誰にも見えないけれど、“心使い”は見える。思いは見えないけれど、“思いやり”は誰にでも見える』。

つまり「心使い」や「思いやり」は体から出た「行動」です。

そして、「心」の付く漢字からも“「こころ」とは何か”が見えて来るかも知れません。

『忍、忘、忽、忠、念、怒、怨、芯、恐、恵、志、恩、悪、愁、悲、思、想、慰、憩、懇、感、惑、愚、惣、慇懃、態』などなど。  (漢字「必」は「心」とは違う漢字で書き順も違う)


3.「物理空間」と「情報空間」とは? (アルビン・トフラーの『第三の波』)

すべて世の中は「見えるもの」で出来ているとする「唯物一元論」に関しては上述しましたが、このような空間を「物理空間」と言うそうです。そして文明はこの物理空間で進化を遂げてきたのです。「脳」の作業もこの物理空間で行われています。しかし今から30年ほど前に【A.・トフラー】が『第三の波』という本を出しベストセラーとなりました。彼が指摘したのは、パソコン、インターネットの普及で「情報」と言うものが、物理層よりももっと大きく影響を与える変化物である、と予見したのです。この「情報」をトフラーは「第三の波」と表現しました。確かに情報は目に見えません。それを「情報空間」と言い、心の作業はこの空間で行われていると言えます。

それではこの書物の中で「第一の波」、「第二の波」は何であったかを掻い摘んで書いておきましょう。

「第一の波」=1万年前の「農業革命」。つまり採集、狩猟、漁労などの生活から定住してムラを作り生活が一変した。しかしこの時代は「時間」には縛られていない。

「第二の波」=1650〜1750年頃の「産業革命」。工業化と都市人口が増加し、エネルギー源として再生不可能な「化石燃料」に求めた。機械が機械を作り(工作機械)つまり科学技術に“子宮”を与えた。
株式会社誕生、中央集権、市場の成立と大量生産・大量消費。規格化、マニュアル化、そして時間に縛られた生活 (つまり今までの我々の生活)
     【参考:A.トフラー/徳岡孝夫監訳『第三の波』中央文庫】

4.欧米文明の模倣は止めて、本来の『森の民』に戻れるか?

ところで「東日本大震災」は日本人の“こころ”を変えたのでしょうか。3月26日の東京新聞・夕刊で、節電対策で真っ暗になった渋谷ハチ公前のスクランブル交差点で取材した記事が載っており、そこにはこう書かれていました。

『3.11までは日常だったことが日常でなくなり、特別だったことが、特別でなくなった。あってあたり前のことが、かけがえのないものだと感じるようになった。いろんな意味で“目に見えない変化”のほうが大きい。そして杉並区から買い物に訪れた主婦に渋谷の喧騒の中で、「身の回りで最も変ったことは?」と問いかけると、「私達の心では・・・・」とつぶやく。』

さて、「文明」とは本来「大地」と「人間」との係わり合いの中で誕生・発展して来たと言われますが、「近代文明」は「大地」を忘れ去り、大地が醸し出す「風土性」を忘却して暴走を続けているようです。資本主義の下、人は「欲望の奴隷」と化し、“合理性を追求する”とか言って「楽」を求め、「道徳」は腐りきってしまいました。これが欧米の考え、つまり「人間」と「大地」を別物に捉えて、人間が自然を支配していけると考える【人間中心主義】で突っ走って来たわけです。

この人間中心主義による「人間が地球をコントロールできる」という思い上がった考えによって、結果として「地球破壊」に辿りついたということです。従い欧米文化も遂に行き詰まってしまっています。残念ながら日本も「明治維新」以降、欧米に追いつけ、追い越せと躍起になって頑張り続けてきた結果として、欧米文明の進化をそのまま真似した為に同様に行き詰まり状態に陥っています。

今回の「東日本大震災」において一番頭の痛いのが「原発事故」ですが、何故に地震大国の日本が、欧米の真似をしてスンナリ「原子力発電」を採用してしまったのでしょう。国民の前で100%安全だと嘘をつき、結果的に日本国民をロシアン・ルーレット的立場に落とし込み、遂に今回実弾を受けてしまったのです。

そもそも日本人は「森の民」であり、日本の文化は「八百万の神信仰」の下で自然と共存を大事にして来ました。日本人はコメを主食としタンパク質を魚に求めるのです。稲作は弥生時代に日本に入って普及したそうですが、その時 ヤギやヒツジなど家畜は入れなかったそうです。それは家畜が森を食いつぶすと考えていたからです。つまり「森の文化」を発展させたのは「日本文化」と言えましょう。

中国から「漢字」が入ってきて、8世紀頃それを基に「ひらがな」や「カタカナ」を生み出し「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」などの物語、日記、詩歌において世界でもナンバーワンと言われるほど多くの名著をあの時代に残しているのです。6世紀に遣隋使や遣唐使によって持ち込まれた「仏教」や「儒教」も9世紀になって「平安仏教」として日本独特のものに仕上げています。16〜17世紀にはヨーロッパ諸国の「植民地政策」によりインド、中国、東南アジア諸国がそうなめに植民地化されている時に、「鎖国」により門戸を絞り植民地にされずにすんだ外交政策など、日本は“外のもの”をそのまま取り入れるのではなく、自国に合った形に創意工夫するのが「日本文化」だったのです。

もう欧米文化の模倣は止めて、これからは本来の日本の気質を取り戻して日本風土に合った日本なりの進化を図って行くべきです。


5.“こころ”の栄養は『癒し』

ここまでのお話で“こころ”とは何か、そして何故に21世紀はこころの時代になるのか(なるべきか)に関して少し理解して頂けたでしょうか。

ところで夏目漱石の胃潰瘍と発作に関してお話しましたが、あの時代だったら精神を病んだら胃潰瘍を治す薬を飲んだ事でしょう。しかし現在では「精神病」は“こころの病”と分かっていますので、薬で治すのではありません。“こころ”の栄養剤は「癒し」なのです。

ここで突然ですが、私が昨年(2010年)5月に挑戦した『鯖街道・ひとり歩き』のDVD(20分物)をご覧頂きます。なぜならこの作品は「癒しバージョン」として作ってあるからです。私が複数で無く“一人で行脚”をする理由は「自然と会話できる近道だから」、そして「自分への挑戦ができる」からです。

そこでこれからDVDを鑑賞頂いて皆さんの「こころ」を暫し休めてください。ここでDVDを見て頂く理由が2つあるのですが、それに就いては最後の方で述べます。
またもし面白くないと感じて眠気が襲ってきたら、どうぞそのまま寝てください。なぜかと言いますと、このDVDは「癒しバージョン」として作ったのですから眠られたという事は、このDVDが完璧に出来上がっているという証だからです。
またもし眠気が差さぬ場合には、自然と会話が出来きるものか、皆さんの心で自分なりに感じてみてください。 それでは始めます。

     ◆このDVDは私のHP上の【Kaz’s Video】欄でご覧になれます。  http://kazum.net

6.「中央集権型組織」から「権限分散型組織」へ 
    (「親分子分型社会」から「寄り合い型社会」へ)

DVDはいかがでしたか? しっかりとお休みになれましたでしょうか?

さて、これからは我々を取り囲む「社会」がどのように変わって来ているのをお話したいと思います。その本題に入る前に、「インターネットの世界」に就いて一体どんな世界なのか、メディアの変遷を辿って検証してみましょう。

              <A 図>    <B 図>
さて左の<A図>ですが、これが1万年前の「言語の使用」から20世紀半ばのテレビ放送までの進化を示していますが、この様に超ロングな期間を掛けてメディアが一歩一歩進化を続けて来ていました。

しかし<B図>をご覧ください。これがインターネットの世界です。左の<A図>と対比して見てください。1万年掛けて進化してきたメディアの世界、つまり言語から画像伝送までの1万年間をパソコンとインターネットで一瞬にしてすべてをガラリと変えてしまおうとしているのです。そしてインターネットの特徴は;

@ 多くの人に見せても費用は変らない。

A 一人が見る情報量が少なくても多くても費用は変らない。

B サーバーを読むために訪れる者が通信費用を負担する。

という画期的なもので、近い将来にはこれまでのメディア・サービスがインターネット技術にすべて吸収されてしまう事でしょう。

さて、それではインターネット時代はこれまでの時代と何が違うのでしょう。

上の<A図>は所謂「物理空間」での進化でした。しかしインターネットの世界は明らかに「情報空間」の話です。これまでの世界は、A.トフラーの言う「第二の波」の中で生きてきた訳です。つまり制度が有ってリーダーを中心に統制されていた「中央集権型社会」(私はそれを「親分子分型」と呼びます)の中で育ってきたと思います。経営手法も「カリスマ経営」が羽振りを利かし、その効果として大きく成長した大企業の周りに衛星中小企業群が覆い包むような社会形態でした。とにかくメーカ−は「安くて良いものを民に与えればそれで良し」を大前提に突っ走って来た様に思います。

しかしインターネットの時代到来で個人からの情報発信が容易になりました。この結果、個人で簡単に物が売れるようになり(ネットショップ)、そして自分と主義や趣味が同じような仲間がインターネット上で簡単にグループが作れる時代が到来したのです。つまり権限が分散化された時代の到来で、政治の世界でも国政から地方分権化が議論されはじめ、現在ではJALや東電、更にトヨタ、ソニーなどなど大型化したが為に抱える問題に直面しています。
きっとこれからはNPO的つまり「この指止まれ型共同体」がどんどん増えてゆきそれら組織がきれいな分業体制を作ってゆくのではと考えます。私はこの形態を「寄り合い型社会」と呼んでいます。自分の主義・主張が同じ連中が一致団結して行動を取るとか、得意技や趣味を持った人々がグループを組んで人様の為に役立って行くとか、一人ひとりが「お金を求める」のでは
無く、自分の「やりがい感、満足感に重心を置く生き方」を選んで行く時代が来ると信じます。そしてこの時代は「お互いの信用」が最も大事なものとなるでしょう。

これが私の言いたい「こころの時代の到来」です。

今回の「福島原発事故」による電力不足問題と将来の電力事情をこの「親分子分型」と「寄り合い型」で表現してみましょう。下の左図をご覧ください。中心部(巨大企業)を「東京電力」とします。そしてそこから電線で各家庭に配電されている姿です。この姿が間違いなく「中央集権型」なのです。

上の右図は各家庭が発電する姿です。風の強い所なら「風力発電」、太陽が燦燦と照りつける地域なら「太陽光発電」、そして温泉地帯なら「地熱発電」など家の立地条件に合わせて各家が発電します。そして各家が「蓄電池」を持っていて電気が余れば蓄電しておき、近所に電力不足の家があれば、お互いに配電し合うシステムです。つまりこれがお互いの「寄り合い・助け合い型」と言えましょう。「スマートグリッド」とか言われていますが、まさしく各家がスマートにやりこなしているのです。

上述のように社会は変っているのだ、と同様なことを主張している本が2006年に何と米国で発刊されていたのです。本の題名は『ヒトデはクモよりなぜ強い』(オリ・ブラウマン/ロッド・A・ベックスツローム共著 糸井恵訳 日経BP社)でクモが「親分子分型」で、ヒトデが「権限分散型」に当ります。そして世界の企業を例に示して次のように分かり易く対比していました。
     <クモ型>       (分野)        <ヒトデ型>

    MGM,ソニー     (音楽著作権)      ナップスター

    AT&T,NTT     (電話回線)        スカイプ

    マイクロソフト      (Webソフト)       アパッチ

    小学館、三省堂    (百科事典)       ウィキペディア

    アメリカ          (社会)          アルカイダ

さて<クモ>とは? 重要な頭を切り落とされたらクモは死ぬ。つまり大企業(頭)が潰れるとその下にぶら下がっていた企業が連鎖倒産に追い込まれグループは全滅する。

ところで<ヒトデ>とは? ヒトデの重要部分は体の中心に集中していない。二つに切り落とせばヒトデは二つになる。理念で生まれた会社(ベンチャーや中小)は「信用」をベースに手広く寄り合っているので、一つの会社が潰れても他の会社への影響は少ない。

上の対比の一例を解説しましょう。「音楽著作権」問題、インターネット上でミュージックや映画を勝手にダウンロードする行為が世界中で蔓延しました。そこでMGMやソニーは著作権を侵害しているとして、ダウンロード出来るソフトウエアの開発・運営会社「ナップスター」を訴えたのです。2000年2月ナップスターは裁判に敗れますが、しかし最終ユーザーである個人の間で行われる無料ダウンロードを押さえ込むことは出来なかったのです。つまりMGMやソニーは高額の弁護士費用払って勝訴はしましたが、結果的に大衆を押さえ込むことは出来なかったのです。次の例、アメリカがアルカイダと戦っていますが、アメリカはその間違いに気がついていません。

テロリストとの戦いとは、「長」の首を捕ってもまた他の長が現れるので終わりが無いのです。ウサマビンラディンの首を捕っても戦争が終った訳ではないのです。

7.課題先進国の日本の進むべき道は? (シルバーエイジ活躍の時代へ)

さて左の図は何の図だか分かりますか?そうです。「日本の人口ピラミッド」で、左が「男性」右が「女性」です。縦軸が年齢で下が1歳から一番上で100歳です。棒線の色分けでブルーが「平成生まれ」で茶色が「昭和」薄緑が「大正」で一番上の薄水色が「明治生まれ」を示しています。棒線の左右のピーク点が120万人です。平均寿命が年々伸びている(平成17年で男78.6歳、女85.5歳)一方で、ブルーの部分が年々減少して行く姿(少子化)が結果として「高齢化社会問題」を引き起こしています。日本は欧米文化を無条件で取り込んできた為に抱えてしまった諸問題が多々あります。そして日本は小さな島国ですから、他先進諸国より一歩早くその諸問題が顕著化して来ています。諸問題とは、「資源不足」、「低自給率」、「廃棄物処理」、「環境汚染」、「高齢化」、「少子化」、「教育・家族・社会の崩壊」、「モラルの低下」、「格差社会」、「財政赤字」などなど挙げたら切りが有りません。
このように多大なる問題を抱えた日本を小宮山宏氏(元東大総長/三菱総合研究所理事長)は【課題先進国】と呼んでいます。そして著書『課題先進国・日本』(中央公論新社)の中で、「もう“出羽の守”の時代は終わった」と述べています。この意味は、欧米に追いつけ・追い越せの時代は、学問は国学から洋学へ、イギリスから「議会制度」を、そしてフランスから「警察制度」を、ドイツから「科学産業や医学」を持ってきて、大学でも「アメリカでは、こうしている」、「イギリスでは、こう考えている」と言った外国を紹介する論文が氾濫していたそうで、そのような時代はもう終ったという意味だそうです。

そのように多大な課題を抱えた日本、今回さらに「原発出羽の守」の結果、未曾有の惨事「福島原発による放射能汚染事故」をも抱えてしまったのです。この問題はチェルノブイリ事故で世界が知っているように、短期間に解決出来る問題ではなく、少なくとも40〜50年のスパンで取り組まざるを得ない問題なのです。本当に子供や孫たちにすまない事をしてしまったと思っています。

こんな問題ダラケの日本、原点に戻って、つまり欧米のフォローはもう止めにして、日本人気質に戻って問題の一つひとつを真摯に取り組み解決の道を切り開き、いずれ同様の問題に直面するであろう他国の良きアドバイザーになれるよう、課題解決の先進国になればよいと考えます。

シルバーエイジの活躍

もう一度先ほどの「日本の人口ピラミッド」を見てみましょう。一番横に長く飛び出した部分が昭和22年のベビーブームの年です(その後数年間を「団塊世代」と呼ぶ)。そのチョイト上に極端にへこんだ部分がありありますが、ここが「大空襲」を受け「終戦」を迎えた昭和19〜20年です。この昭和22年付近から上の部分の人々が、その下の部分の人々(生産人口+年少人口)に日本が抱えてしまった課題の解決を任せっきりにしてはならないのです。むしろ“自分で撒いた種は自分で摘まねばならぬ”のですから、積極的に「課題解決」に手を差しのべる必要があるのです。

その為にはどうすればいいのか?

スピーチの前半で話しましたが、「これからは“こころ”の時代」ですから、「好きであってやりたかったことで、それが人の為になること」に集中して取り組めばいいのです。つまり己の利を先とせず衆生の為に行動すれば、それが一つひとつ課題を解決する方向に向っているのだと信じます。

例えば:

▲ 自分が現役でやってきた仕事での経験が、若い人々に生かせて貰えればと無料奉仕で相談に乗る。

▲ 自分は頭に自信はないが、体力にはまだ自信があるので力作業で奉仕する。

▲ 自分には自由に出来るお金があるので、それを将来の日本を作り上げる目的に投資してみる。但し大きな配当は期待しない。

▲ 自分が取り組んできた趣味やスポーツを、今度は人様の為にその喜びや楽しみを広めてゆく。

と考えて行きますと、いよいよ「シルバーエイジ」の活躍する時が来たと言えそうです。次に一例として私が取り組んでいる「行動」について紹介致しましょう。

『ITEC メンター クラブ』

NPO法人「産業技術活用センター」が日本経団連の後援の基で展開している事業で、会社をリタイヤーした人達が“メンター”となり、自分の経験がベンチャー企業や中小企業(これらが“メンティー”)にお役に立てばと無料で相談に乗るサービス。  詳細は http://www.cea.or.jp/itec/

● NPO法人『楽しいひととき出前どころ』

趣味やスポーツ(マジック、腹話術、パントマイム、太極拳、日本舞踊、能、フラダンス、朗読、落語、ノコギリ演奏、歌、マンドリン、尺八、などなど)をする仲間が集まって、地域のイベントや福祉団体での催し、地域商店街でのお祭りなどにボランティアとして参加している。  
詳細は http://hitotoki.cocolog-nifty.com/

さあ、皆さん、これからは「こころの時代」ですから、これぞと思ったら是非「行動」に移してください。今回の3・11は日本に取って大変に辛い出来事でしたが、その大惨事以前では“何でも有った時代”でしたが、私達に【希望】が無くただ漠然と生きていたように感じます。しかし今回の大災害は一瞬“何にも無くなった状態”を生みましたがその時我々の“こころ”に【希望の種】が生まれたような感じがしました。

日本が健康な状態に戻るには時間が掛かりますが、諦めることなく、ただ粛々と【希望】に向って、皆さん!一歩一歩「行動」を起こして参りましょう!

<付記> 癒しのDVD『鯖街道・ひとり行く』を見て頂いた2つの理由

最後にこの講演の途中で見たDVD【鯖街道・ひとり行く】に関して、見て頂いた2つの理由に就いて説明をさせて頂きましょう。

まずは理由の一つ目:よく日本は「成熟しきった社会」と言われます。私はその「成熟とは実は地球破壊では?」という姿を皆さんに見て頂きかった。人の居ない自然の美しい山奥に人間が作った「自動車」、「自転車」や「テレビ」が投げ捨てられている姿、本当に悲しくなります。

一方で山道をひとり歩いていますと、湧き出ている「水」の所に【みず】と書かれた水飲み場に出っくわします。これは地元の方が優しい気持ちで作ってくれた「命の救い場」なのです。本当にありがたく思います。

そしてもう一つの理由:今回2本のDVDを見て頂きましたが、このような作品がインターネットの世界では誰でもが簡単に作れるのだ、ということを知って欲しいからです。

もうインターネットの時代は避けて通れないのですから、是非皆さんが積極的にインターネット世界に参入して、「この指止まれ型」グループの発見や、「人の為にやりたいこと」への自由な挑戦をして欲しいと思います。即行動に移すために、このようなDVDを簡単に作る為のインターネット上の無料ソフトを紹介しておきましょう。

   +Windows フォトストーリー3

      http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/ps3.html

   +Windows Media Player11 (BGMの製作用)

   +Windows ムービーメーカー(動画を取り入れる場合)

これら無料ソフト名を検索しますと、「無料ダウンロード」が出来ますので、是非活用して頂き、自前の「映画」を製作すれば、あなたは立派な映画監督になるかも。妻や家族との旅行やイベントで撮ってくる数々のデジカメ写真をフォトストーリーで繋げて編集して「ストーリー」に作り上げ、家族や孫達を喜ばせるのも楽しいものです。挑戦してみてください。

これにて私の話を終わらせて頂きます。長時間に亘りご清聴ありがとうございました。

<完>

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